不自然な「自然派さん」や自称CSさんの主張に関して私が思うことーいい加減な情報を流さないでほしいという切実な私の考えについて
前回から随分時間が経ってしまいましたが、ごきげんよう。(3ヶ月近く放置していたことになりますかね…)
コロナ、また感染者数がじわりと増えてきていますね。それだけ検査の数が増えたという背景もあるでしょうが、、
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さて、今回は一言で言うと↓に関すること。(今日もタイトルが長いけど…)
不自然な主張を繰り返す自然派さんが一番厄介なんですけど💢
— さくらゆり (@sakura_yuri84) 2020年8月16日
最近、自分のTL上や、その他の情報収集用媒体でよく目にする「自称・自然派さん」「自称・化学物質過敏症さん」のお話。
ちょっと長くなったので目次を作ることにする。以下。
1、「自称」が付く不自然な自然派さんたちの主張
私がざっと目にした限りのこの「不自然な自然派さん」たちの主張と傾向を簡単にまとめると、
①コロナはただの風邪であり、陰謀(何の?)である
②現代医療を頑なに拒否
③反ワクチン運動展開中
④大麻を肯定
⑤経皮毒は子宮内にまで到達する→よって、破水した時に羊水から柔軟剤やシャンプーの香りがするという都市伝説を信じ込み、それを拡散する。または、そのように人に伝え回る
⑥無添加生活、オーガニック生活を健常者に押し付ける
思いつく限り、こんな感じ。
②と③に関しては気持ちはわからないでもない。でも、それ以外は正直、引いてしまった。その理由と私の思うところをちょっとまとめてみようと思う。
2、不自然な自然派さんたちの主張に関して私が思うことなど
2−①「コロナはただの風邪であり陰謀」という論
新型コロナウイルス流行下で、消毒用アルコールや次亜塩素酸水(またはナトリウム)に困っているCS当事者は多いだろうと思う。実は私もその一人だ。自分のすぐ隣でアルコールをシュシュっとやられると困る。咳き込むし、目がしみる。電車に乗って隣町まで買い物に行けるレベルの軽症CSの私だって困っている。街の中がとにかく消毒薬くさい。
過度な消毒は逆に免疫力を低下させたり、手指の常在菌を殺してしまったりするので良くないし、石鹸での手洗いうがいをしていれば感染リスクはかなり下がる。なんなら、石鹸がなくても流水でしっかり15秒ごしごしやっていれば、ウイルスは100分の1くらいまでになるらしい。ここではウイルスの不活化については触れないでおく。また、消毒薬の使用によって手洗い以上の洗浄効果は認められなかったとの報告もある。以下は東京都の資料:https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/hyouka/files/0913joho1.pdf
この辺の情報はもっとたくさんの人に知ってもらった方がいいと思うし、また、消毒薬等を過度に使用することで、私たちのような人間が困っている(苦しんでいる)という事ももっと周知するべき事実かと思う。
しかし、だからと言って、死のリスクがとんでもなく高い感染症を「ただの風邪」で片付けるのはどうかと思う。ただの風邪で人はあんなに苦しむだろうか。インフルエンザよりも数は少ないと豪語しているブログも見たし、それが事実なのだろうとは思う。だが、まずインフルエンザは予防接種ができる「防げる感染症」であり、かつ有効な治療薬がすでに開発されている。新型コロナウイルス感染症についてはどうだろう。まだまだワクチンは開発途上。また、感染した後回復をしたとしても、一生続くかもしれない後遺症が残るという情報もある。
陰謀論を唱える人々は、その根拠を示してほしいのだが、そういった根拠たる情報にたどり着くことができないのは私の情報収集能力のせいなのか。うーん…。謎。。
2ー②③現代医療の否定と反ワクチン
この2つはまとめて書く。
現代医療の否定というよりも、西洋医学の否定と言うのが良いだろうか。とにかく、この人たちは、例えば高熱を出している我が子を見ても病院へ連れて行こうとはしない。自己流の「治療法」で「免疫力を高める」ためのトンデモ行為を行なっているのである。それについては私は異を唱えたい。
私が冒頭でこの部分に関して「気持ちはわからなくはない」としたのはどうしてかというと、私も過去に病院で嫌な目に遭った経験を持つからだ。私はCSの他にメニエール病を持っている。これはもう10年以上前に九州大学病院の耳鼻咽喉科でかなり精密な検査をしてからの確定だった。その確定の前に、別の耳鼻咽喉科で回復しない治療を長いこと受けて、しまいには「慣れてください」と匙を投げられ(それだけじゃないけど)、とても悔しい思いをした。しかしその後通った鍼灸院で長いこと苦しんでいた耳鳴りが改善した。このことから、西洋の医療が自分の体にフィットするのかどうかはかなり疑問を抱くようになった。とはいえ、この辺は自分自身のその時の体の状態と要相談で、治療法も選びよう、という話だ。流石に高熱が出たり急性症状が出たら病院へ行く。
予防接種(ワクチン)も受けられるなら受けた方がいいと私は思う。その中身(添加物など)があまり良くないことや、ワクチンそのものが身体に悪さをしてしまう事例も知っている(というか同僚にそういう人がいる)から、反ワクチンの考え方そのものを100%否定したりはしない。だが、よく考えてみてほしい。ワクチンだって、医療技術の積み重ねの上でできたものである。長年の医療従事者の努力の結晶で、一つでも多くの命が助かる可能性があるのなら、それは頭ごなしに否定するべきではないのでは?
(まあ、なんにしても私は暫く打てないと思うけど……)
2ー④大麻を肯定
これに関しては長々と書くのがあまりにもバカバカしいので一言だけ。
日本に住んでいる以上、それは違法です。
以上。
2ー⑤経皮毒で羊水から柔軟剤やシャンプーの香り
都市伝説というか、デマなんだよね、これ。
この情報をつい最近Twitterで流していた方は、医療従事者や助産師ではなく、農家でした…。専門外の人がどこからかかじってきた適当な情報を裏も取らずに拡散してしまったという事例なのだろうなと推測。ちなみに私には出産経験はなく、以前お話しした通り医療従事者でもないので、この情報だけを見ていたら信じ込んでいたかもしれない。何せ合成香料の害については嫌という程情報を集めたので。人工香料を包むマイクロカプセルがどのようなものかも知っているし、それが鼻から体内に入って肺の奥にまで届いてしまうらしいということも情報として知っている。
けれども、はっきりと助産師さんのTwitterアカウントがそれを否定している。
今も昔も羊水にそんなフローラルな香りはしない、と。
そしてこのデマは今に始まったことではないらしい。
このツイートだけを見たら、逆に自称自然派CSさんは「鼻が麻痺しているだけだ」とか言い出すのだろうとも予測できる。
さて、あなたは何を信じる?
2ー⑥無添加、オーガニック押し付ける
私たち(M)CS患者が無添加生活にならざるを得ないのは事実で、合成化学肥料や農薬が大なり小なり私たちの身体に悪さをするのは事実。
でも、だからといってそれを健常者に押し付けてはいけない理由がある。
一つは、無添加・無農薬やオーガニックの商品はそれなりに値段がするということ。
食品だけではなく、もちろん私たちの多くが苦しめられている洗剤類に関しても同じことで、「たった100円、されど100円」なのだということを頭の片隅に置いておくべきなのだ。その100円でコンビニのパンが一個買える。その100円のパンで明日の命を繋ぐ困窮者が日本にもいる、という事実。(私はそういう家庭の子どもたちも何人か見てきた)
二つ目は、お金があっても時間がない、手間がかけられないという人たちが存在するという事実。10人中10人が皆時間的余裕のある生活を送っているわけではないのだ。
食品に関して言えば、仕事に追われて自炊する暇なんてないという人も多い(私だって実はそう)。そういう人は、手軽にスーパーのお惣菜を買って済ませたい場合もある。
少し前に子連れの母親がスーパーのお惣菜コーナーでポテトサラダを手にしたら「作ってやれよ」と干渉してきたという「ポテサラじじい」が話題になった。そのツイートを私もTL上で見かけたのだが、そこにCS当事者と思しき企業批判系のアカウントが保存料や添加物がどうのこうの、という本題のツイートの趣旨とはズレたリプライをつけていたことに私は疑問を持った。余程のことがない限り、人の食卓に他人があれこれと口を挟むべきではないと思う。(干渉してはいけないのは食卓だけじゃないけれども)それぞれの家庭にそれぞれの事情があっての食卓で、それも多様性なのだ。
(尚、自炊の手間もかけられないほど働かなければならないというのは、それはもはや社会構造の問題になってくるので別問題だし、ここで議論することでもない)
手間という観点で言えば、実は石鹸洗剤の使用に関しても同じこと。あれは使った人だけがわかると思うが、ほんの少しだけコツがいるのだ。この際、香料毒性や成分の危険性、環境負荷などの話は置いておいて、合成洗剤でその手間が簡単に省けるのであれば、私だってそうしたい。その手間を他人に「お願い」することはできても押し付けることはできない。Twitterにいる香害で苦しむアカウントの方々で丁寧な「お願い」ができている方は果たしてどのくらいいるだろうか。無意識に押し付けてはいないだろうか。これは私自身も含めて、であるが。
3、最後に
ものすごく長くなったが、私が思うところは以上だ。
で、何が言いたいかというと、これらの主張を繰り返す「自称・自然派」「自称・化学物質過敏症」の方の発信によって、本当に苦しい思いをしている患者当事者が健常者からの理解を得られにくくなっているという構造ができあがっていないだろうか、ということ。
非科学的で根拠のない叫びや、他者をむやみに糾弾したり、また他者の生活に干渉するような言い方、自分たちの生活スタイルを押し付けるような言動を繰り返したりすることで、私達はまとめて非難されるようになる。健常者から見たら、「自称」さんも本当に苦しんでいる人も皆同じなのだ。多分、きっと。
で、結果的に「精神的なものでしょう」「まずは精神科へどうぞ」という言葉を聞くことになるのだろうと私は思う。
そしてその「自称」さんの多くがやっぱり「自称」のままで、確定診断を受けていないようだ(私調べ)
その「自称」さんの不自然な主張や発信、少なくとも私には迷惑なので辞めていただけないだろうかと思う。心からそう思う。
(追記)とはいえ、私も一年ほど前は同じような「自称」さんだったので、そこは反省している。それをきちんと窘めてくれた人がたまたま私にはいた幸運も自覚している。Twitterでは何度も書いているけれども、私の大切な人(同僚氏)の話。それについては、またいつか。
化学物質過敏症という病気と「共生」し、それを克服するための自分なりの決まりごとをまずは聞いてほしい。
タイトル長っ!w
長いんだけど、タイトルの通りなので、まずは下記の一連のツイートを見てほしい。
(順番が前後して申し訳ないんだけれども、化学物質過敏症という病気についての詳細と現在の私の症状についての説明は後日とさせていただく。)
【自分なりのCSポリシー】
— さくらゆり (@sakura_yuri84) 2020年4月19日
①規則正しい生活と適度な運動
②極力、減農薬無農薬を選ぶ
③人工の食品添加物を避けまくる
④外的要因と共に内的要因にもしっかりと目を向ける
⑤今反応するものにだけ対処する
⑥人に説明するときは個人的な感情を極力排し、症状と事実のみを伝える
⑦世の中の趨勢を否定しない
— さくらゆり (@sakura_yuri84) 2020年4月19日
⑧特定の商品やメーカーを持ち上げたり、逆に非難したりしない
⑨自分の身体を強くすること、その為にできることを考える
⑩笑顔!!「辛い時こそ笑っとけ」
11協力してくれる周りの人々に感謝の心を
12配慮してもらって当然だとか奢ったことを思わない
13寛解まで諦めない
14、同病の人を含めた他者に依存しない。自分でできることは自分で。
— さくらゆり (@sakura_yuri84) 2020年4月19日
15、いざという時には、心から信頼できる人間に甘える(依存とは違う)
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体調が悪くなってきて、自分はひょっとして化学物質過敏症なんじゃないかと疑いだしたころから、Twitterを中心に色々な媒体で必死に原因を探したり、同じ症状を訴えている人たちの声を拾ったりしてきた。でも、これは詳細をまた後日書こうかと思うけれども、この行為が私の体調を更に悪化させたという事実がある。不思議だね。決して精神的な病気ではないのに、それでも意識の持ち方は体調を整える上で大切なのだ。
CSで苦しむツイッタラーはたくさんいた。
苦しみながら、体質改善に向けて前向きに治療に励む人もいたし、この病気のことを知ってほしいと発信する人もいた。家族がCSで苦しんでいるから何とかしたい、情報が欲しいという人も。
一方で、CSと診断されずとも、いつかの私のように、未診断のまま症状だけ出ているのに「自分は違う。でも、世の中の香害は憎い」という呟きだけをひたすら流して、日々とても辛そうなツイッタラーもいた。診断済みで、でもその原因を一つと決めつけて、ある企業の批判を繰り返している人や、逆に某無添加石鹸メーカーのステマみたいになっているアカウントの人も多くいて、なんか、必死さが漂っている。
必死になるのは悪いことではないし、むしろ、自分たちの(大げさじゃなく)日々、生きるか死ぬかの状況を考えたら、そうならざるを得ないんだろうなとは思う。
でも、ある日それに違和感を覚えた。
この人たちは「自分が100%正しい」という認識を譲らないのだ。
「自分は正しい」
「CSの私たちの方がまともな身体、感覚を持っているのだ。匂いがわからない人の方がおかしい」
「自分たちは被害者だ。毒物を売り続ける人使い続ける人はただただ憎い」
このような意見が私のツイッターのTLに溢れるようになった。(ちなみに、この時は上記のアカウントはまだなくて、元々持っていた“仕事&趣味の話をするアカウント”の方でCS関連情報を集めたり、個人的に愚痴ったりしていた。仕事関係で繋がったフォロワー様方と同僚sには申し訳ないことをした…)
実は私自身も最初はこれらの人々と同じような感情を持っていた。
私から大切な居場所を奪った、毒物を作り続ける企業とそれを野放しにしている厚労省が憎い。その製品を買って使い続けている人たちが普通に働けて、私が現場から切り離されるのは納得できない。そう思っていた。(一番最後に関しては、今も少しそう思っているけれども、ご存知の通り、2020年4月の時点で、全員が等しく現場から切り離された状態となっているので、かつてほどその感情は強くはない。色んな意味で悲しいけれどもね。)
でも、ある人に指摘されて初めてはっと気がついた。(ある人についてはまたこれも後日記す)
私たちは配慮を「お願い」する立場にあるのに、どうしてそんなに上から目線で物事を見ることができるのか。配慮してもらって当然という態度を取って、周りからの反感を買っていないか。だから協力してもらえなくなるし、理解も進まなくなるのではないか。
このことに気がついた後から、社会や企業の批判だけを繰り返す人、その主張に他者を巻き込もうとする人のツイートに違和感を覚えるようになった。
そして、当然ながら、それで体調がよくなるわけではない。
この病気についてある程度調べた人ならもうわかると思うけど、確かに現時点では確立された治療法も特効薬も存在していない。所謂、難病だ。だけど、「寛解(回復)した」という事例がいくつもネット上に転がっているのも事実。寛解できるなら、寛解させたくない?私はそう思うのだ。(残念ながら「完治」はないらしく、そういう意味では「一生のお付き合い」となる病気らしいのだが)
寛解した人たちは、それなりに、努力をしている。
運動して、食事や生活習慣を見直して、あるいは意識の持ち方にまで気を配って。それで寛解させている。その発信に信憑性があるかどうかなんか、ここでは今はどうでもいい。
事実、治療法として現在挙げられているのは
・化学物質を取り入れないこと
・体内の毒素を排出すること
この2点なのだから。
これらをきちんと達成するためには、まず自分自身としっかり向き合うことが大切なのだと思う。それはとても時間のかかることだと思うし、頭も(あるいは体力も)使うことなのだと思う。
企業批判したり、周りの環境を嘆いて責め立てている暇はないのでは?
少なくとも、私は自分の治療と企業の批判を並行して行える程器用な人間ではないし、そもそも化学製品メーカー(大企業!)を叩いたところで何の解決にもならない。(政治と大企業はがっつり癒着しているのが現実なので、末端の一般人が吠えても、そんなに簡単に世の中は変わらないよ。動かないよりはマシかもしれないけれども…そもそも、そんな体力、CS真っ只中の当事者にはないのではないかと。軽度の私にだってない。)
そんなことをする時間があったら、自分の身体をいかに強くするかを考えて実践する方が余程いい。
体質改善を頑張って、寛解させる未来を見る方が余程いい。
そう思った。
CSアカウントで一番最初に呟いたこと↓
あれをしてくれない、これをしてくれない、と嘆きたくなる気持ちもわかります。私も何度そういう気持ちになったかわかりません。ですが、周りの環境を嘆くより、自分を変える努力をすることと、協力してくれる周りへの感謝を忘れないことの方が大事じゃないかい?
— さくらゆり (@sakura_yuri84) 2020年4月5日
感謝、忘れてない?
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尚、「世の中の趨勢を否定しない」に関しては、過去に私も合成香料を使用したシャンプーやコンディショナーなどを使っていたし、抗菌グッズも使っていたし、消臭スプレーも制汗剤も使っていたので、今自分がこれらの製品の成分で体調を崩すようになったからといって使うなとは言えないし、使っている人たちを咎めることもできないということ。
新約聖書の中に、姦淫の罪で(現行犯?)捕まった女が律法学者とパリサイ人によってイエスのもとに連れてこられた話がある。彼らがイエスを訴える口実が欲しかったという背景で。
「モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか」
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」
現代社会において、一体どれだけの人が化学物質の恩恵に預かっているだろう。
CS発症者だって少なからず、過去にはその便利さを享受してきたはずで、私たちが周りに石を打ちつけることなんか本当はできるはずはないのだ。私自身も然り。ひょっとしたら、逆に、かつては(今現在も?)私自身が誰かにとっての加害者だったかもしれないのに。
そこを忘れてはいけないと思う。
(さて、夜遅くなってしまった。早速「早寝早起き」が実践できていないことについては、今回は流していただけるとありがたいw おやすみなさい。)
とりあえず自己紹介をする
自分の忘備録として、そして心の内に留めておくことが難しいだろうことを書き散らかす場として、かつて作っておいたはてなIDを動かすことにした。
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はじめまして。
佐久良ゆりと申します。
私は現在、東京は多摩26市の隅っこの方で働いています。海外にルーツを持つ子ども・若者の初期日本語指導や時々学習支援などを生業にしている日本語教師です。生活言語や学習言語に困っている人たちを支援していたら、私自身が病気に困っている人となっていました。(このフレーズ、かつて難病と闘ってその闘病記を出版された作家で医療社会学がご専門の研究者である大野更紗さんのご著書『困っている人』にもありましたね。難民研究をしていたら、自分自身が「難」の当事者となっていたという。あ、ちなみに大野さんと私、同い年です。)
2020年3月某日(コロナ禍中に季節外れの大雪が東京に降り積もった日!)に都内の病院で「多種類化学物質過敏症」(Multiple Chemical Sensitivity-MCS)の病名で診断書を受け取りました。
化学物質過敏症?何だそりゃ。
当事者じゃない方々は、まあ、そう思いますよね。私自身も正直、まだそう思っています。簡単に言うと、健常者が反応しない量のごく微量の化学物質に対してあらゆる身体反応が起きるものです。アレルギー科での診断になりますが、分類としては中毒症状なんだとか。これに関する情報はググるとたくさんでてくるので、もっと詳しいことはグーグル先生にお任せすることにして(興味のある人は検索かけてみてくださいー!)ここでは私のことと私自身が思ったこと考えたこと、感じたことなどを中心に書いていこうかなと思っています。更新できるときに更新します。あまり頻度は期待しないでください。
取り急ぎ、ご挨拶まで。