化学物質過敏症という病気と「共生」し、それを克服するための自分なりの決まりごとをまずは聞いてほしい。
タイトル長っ!w
長いんだけど、タイトルの通りなので、まずは下記の一連のツイートを見てほしい。
(順番が前後して申し訳ないんだけれども、化学物質過敏症という病気についての詳細と現在の私の症状についての説明は後日とさせていただく。)
【自分なりのCSポリシー】
— さくらゆり (@sakura_yuri84) 2020年4月19日
①規則正しい生活と適度な運動
②極力、減農薬無農薬を選ぶ
③人工の食品添加物を避けまくる
④外的要因と共に内的要因にもしっかりと目を向ける
⑤今反応するものにだけ対処する
⑥人に説明するときは個人的な感情を極力排し、症状と事実のみを伝える
⑦世の中の趨勢を否定しない
— さくらゆり (@sakura_yuri84) 2020年4月19日
⑧特定の商品やメーカーを持ち上げたり、逆に非難したりしない
⑨自分の身体を強くすること、その為にできることを考える
⑩笑顔!!「辛い時こそ笑っとけ」
11協力してくれる周りの人々に感謝の心を
12配慮してもらって当然だとか奢ったことを思わない
13寛解まで諦めない
14、同病の人を含めた他者に依存しない。自分でできることは自分で。
— さくらゆり (@sakura_yuri84) 2020年4月19日
15、いざという時には、心から信頼できる人間に甘える(依存とは違う)
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体調が悪くなってきて、自分はひょっとして化学物質過敏症なんじゃないかと疑いだしたころから、Twitterを中心に色々な媒体で必死に原因を探したり、同じ症状を訴えている人たちの声を拾ったりしてきた。でも、これは詳細をまた後日書こうかと思うけれども、この行為が私の体調を更に悪化させたという事実がある。不思議だね。決して精神的な病気ではないのに、それでも意識の持ち方は体調を整える上で大切なのだ。
CSで苦しむツイッタラーはたくさんいた。
苦しみながら、体質改善に向けて前向きに治療に励む人もいたし、この病気のことを知ってほしいと発信する人もいた。家族がCSで苦しんでいるから何とかしたい、情報が欲しいという人も。
一方で、CSと診断されずとも、いつかの私のように、未診断のまま症状だけ出ているのに「自分は違う。でも、世の中の香害は憎い」という呟きだけをひたすら流して、日々とても辛そうなツイッタラーもいた。診断済みで、でもその原因を一つと決めつけて、ある企業の批判を繰り返している人や、逆に某無添加石鹸メーカーのステマみたいになっているアカウントの人も多くいて、なんか、必死さが漂っている。
必死になるのは悪いことではないし、むしろ、自分たちの(大げさじゃなく)日々、生きるか死ぬかの状況を考えたら、そうならざるを得ないんだろうなとは思う。
でも、ある日それに違和感を覚えた。
この人たちは「自分が100%正しい」という認識を譲らないのだ。
「自分は正しい」
「CSの私たちの方がまともな身体、感覚を持っているのだ。匂いがわからない人の方がおかしい」
「自分たちは被害者だ。毒物を売り続ける人使い続ける人はただただ憎い」
このような意見が私のツイッターのTLに溢れるようになった。(ちなみに、この時は上記のアカウントはまだなくて、元々持っていた“仕事&趣味の話をするアカウント”の方でCS関連情報を集めたり、個人的に愚痴ったりしていた。仕事関係で繋がったフォロワー様方と同僚sには申し訳ないことをした…)
実は私自身も最初はこれらの人々と同じような感情を持っていた。
私から大切な居場所を奪った、毒物を作り続ける企業とそれを野放しにしている厚労省が憎い。その製品を買って使い続けている人たちが普通に働けて、私が現場から切り離されるのは納得できない。そう思っていた。(一番最後に関しては、今も少しそう思っているけれども、ご存知の通り、2020年4月の時点で、全員が等しく現場から切り離された状態となっているので、かつてほどその感情は強くはない。色んな意味で悲しいけれどもね。)
でも、ある人に指摘されて初めてはっと気がついた。(ある人についてはまたこれも後日記す)
私たちは配慮を「お願い」する立場にあるのに、どうしてそんなに上から目線で物事を見ることができるのか。配慮してもらって当然という態度を取って、周りからの反感を買っていないか。だから協力してもらえなくなるし、理解も進まなくなるのではないか。
このことに気がついた後から、社会や企業の批判だけを繰り返す人、その主張に他者を巻き込もうとする人のツイートに違和感を覚えるようになった。
そして、当然ながら、それで体調がよくなるわけではない。
この病気についてある程度調べた人ならもうわかると思うけど、確かに現時点では確立された治療法も特効薬も存在していない。所謂、難病だ。だけど、「寛解(回復)した」という事例がいくつもネット上に転がっているのも事実。寛解できるなら、寛解させたくない?私はそう思うのだ。(残念ながら「完治」はないらしく、そういう意味では「一生のお付き合い」となる病気らしいのだが)
寛解した人たちは、それなりに、努力をしている。
運動して、食事や生活習慣を見直して、あるいは意識の持ち方にまで気を配って。それで寛解させている。その発信に信憑性があるかどうかなんか、ここでは今はどうでもいい。
事実、治療法として現在挙げられているのは
・化学物質を取り入れないこと
・体内の毒素を排出すること
この2点なのだから。
これらをきちんと達成するためには、まず自分自身としっかり向き合うことが大切なのだと思う。それはとても時間のかかることだと思うし、頭も(あるいは体力も)使うことなのだと思う。
企業批判したり、周りの環境を嘆いて責め立てている暇はないのでは?
少なくとも、私は自分の治療と企業の批判を並行して行える程器用な人間ではないし、そもそも化学製品メーカー(大企業!)を叩いたところで何の解決にもならない。(政治と大企業はがっつり癒着しているのが現実なので、末端の一般人が吠えても、そんなに簡単に世の中は変わらないよ。動かないよりはマシかもしれないけれども…そもそも、そんな体力、CS真っ只中の当事者にはないのではないかと。軽度の私にだってない。)
そんなことをする時間があったら、自分の身体をいかに強くするかを考えて実践する方が余程いい。
体質改善を頑張って、寛解させる未来を見る方が余程いい。
そう思った。
CSアカウントで一番最初に呟いたこと↓
あれをしてくれない、これをしてくれない、と嘆きたくなる気持ちもわかります。私も何度そういう気持ちになったかわかりません。ですが、周りの環境を嘆くより、自分を変える努力をすることと、協力してくれる周りへの感謝を忘れないことの方が大事じゃないかい?
— さくらゆり (@sakura_yuri84) 2020年4月5日
感謝、忘れてない?
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尚、「世の中の趨勢を否定しない」に関しては、過去に私も合成香料を使用したシャンプーやコンディショナーなどを使っていたし、抗菌グッズも使っていたし、消臭スプレーも制汗剤も使っていたので、今自分がこれらの製品の成分で体調を崩すようになったからといって使うなとは言えないし、使っている人たちを咎めることもできないということ。
新約聖書の中に、姦淫の罪で(現行犯?)捕まった女が律法学者とパリサイ人によってイエスのもとに連れてこられた話がある。彼らがイエスを訴える口実が欲しかったという背景で。
「モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか」
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」
現代社会において、一体どれだけの人が化学物質の恩恵に預かっているだろう。
CS発症者だって少なからず、過去にはその便利さを享受してきたはずで、私たちが周りに石を打ちつけることなんか本当はできるはずはないのだ。私自身も然り。ひょっとしたら、逆に、かつては(今現在も?)私自身が誰かにとっての加害者だったかもしれないのに。
そこを忘れてはいけないと思う。
(さて、夜遅くなってしまった。早速「早寝早起き」が実践できていないことについては、今回は流していただけるとありがたいw おやすみなさい。)